天智天皇ご事績・ご神徳
御祭神・御神徳
御祭神 天智天皇(てんじてんのう)
またの御名 天命開別大神
(あめみことひらかすわけのおおかみ)
御神徳 時の祖神 開運・導きの大神
文化・学芸・産業の守護神
文化・学芸・産業の守護神
御由緒
近江神宮は第38代天智天皇をお祀りし、琵琶湖西岸の天智天皇の古都・近江大津宮跡に鎮座しています。全国16社の勅祭社の一社であり、4月20日の例祭(近江大津宮遷都記念日)には、天皇陛下の御名代として毎年宮中より御勅使を御差遣いただいています。
ご鎮座は昭和15年11月7日で、令和2年11月に80周年を迎えました。神社としての歴史は新しいのですが、滋賀県・近江国の発展は大津宮に都をおかれたことに始まるとして、古くから湖国では天智天皇に対する崇敬が厚く、天智天皇に関係する伝説や神社など、県内各地に残されています。大津市が古都保存法によって古都として指定されているのも、大津宮遷都にもとづくものであり、1350年の歴史に立脚する神社といえます。明治30年ころから滋賀県民の間に天智天皇を祀る神宮の創建運動が高まり、昭和に入って昭和天皇の御勅許を賜わり、滋賀県民を始め全国崇敬者の真心の奉賛により創建されました。
境内地は約6万坪。社殿は近江造りあるいは昭和造りと呼ばれ、山麓の斜面に本殿・内外拝殿を回廊が取り囲み、近代神社建築の代表的なものとして、平成10年より国の登録文化財として登録されています。
御事績・御神徳
御祭神・天智天皇(御神名・天命開別大神)は第34代舒明天皇の皇子で、中大兄皇子と申し上げ、1370年の昔、皇太子として藤原鎌足とともに蘇我一族の専横を除去遊ばされ、大化改新(645年)を断行されました。古代社会の転換期に、大陸からの圧力により存亡の危機に直面していたわが国を、偉大なる英知と勇気とをもって雄大な建国の理想を実現せられ、国家確立の大本を打ち立てられ、中興の英主と称えられます。
「天智」とは天のように広く限りない智恵の意味であり、四海あまねく智恵の光をおさしのべになる大神であられます。別名の「天命開別」とは、神ながらの理想をうけて日本の運命を開き、画期的な新時代を確立、推進なさったことの尊称で、運命開拓の大神と拝します。
特に天智称制6年(667年)都を奈良の飛鳥より近江大津宮へ遷され、その後の内外の施策には目覚ましいものがあり、わが国法典の源をなす「近江令」を制定、学校制度を創始して国民教育の道を開かれ、また戸籍の制定(庚午年籍)土地制度の改革(班田収授)、当時最新の科学技術を駆使して産業振興を図られるなど、次々に新時代に向けての政策を推進せられ、政治経済の改革・学芸文化の創造発展に寄与されました。
「天智」とは天のように広く限りない智恵の意味であり、四海あまねく智恵の光をおさしのべになる大神であられます。別名の「天命開別」とは、神ながらの理想をうけて日本の運命を開き、画期的な新時代を確立、推進なさったことの尊称で、運命開拓の大神と拝します。
特に天智称制6年(667年)都を奈良の飛鳥より近江大津宮へ遷され、その後の内外の施策には目覚ましいものがあり、わが国法典の源をなす「近江令」を制定、学校制度を創始して国民教育の道を開かれ、また戸籍の制定(庚午年籍)土地制度の改革(班田収授)、当時最新の科学技術を駆使して産業振興を図られるなど、次々に新時代に向けての政策を推進せられ、政治経済の改革・学芸文化の創造発展に寄与されました。
なかでも漏刻(水時計)をお造りになり、社会生活の基本である時報を始められたことはよく知られています。6月10日の「時の記念日」は近江朝廷で時報が開始された日を記念して大正9年に制定されたもので、毎年この日には近江神宮を時の祖神として崇敬する時計関係者の方々が中心となり、賑々しく漏刻祭が斎行されています。境内には「時計館宝物館」が設けられ、和時計をはじめ各種の古時計などを展示しています。また境内に設置された水時計や日時計は、時計業界からの献納によるものです。
また越の国(新潟県)より大津宮に「燃ゆる水(原油)・燃ゆる土(天然アスファルト)」が献上された日本書紀の記事は、わが国の文献における「石油」の初見であり、ほかにも各種の科学技術を積極的に使用されたことが記録からうかがえます。
天智天皇の御事績は、明治維新に至る1200年の基礎となり、古く奈良時代から、御歴代の天皇陛下のなかでも別格の位置におかれ、特別な崇敬がありました。天智天皇の御陵は十陵の筆頭として、歴代朝廷から奉幣が行われ、平安時代を通じて、その忌日には一般の政務を停止し、諸大寺での法要に当ることになっていました。後世に至るまで歴代天皇のなかでも格別の位置に置かれていたことがうかがわれます。
また歴代天皇の即位に当っての宣命には、かならず天智天皇のことに言及されるなど、皇室の歴史のなかでも特別崇敬の深い天皇であられました。
そういった平安宮廷での深い崇敬が、鎌倉時代の初めに小倉百人一首が選ばれるにあたって、天智天皇の御製を巻頭に置くことにつながりました。その御製
「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」
は広く国民に親しまれ、歌かるたの祖神としても仰がれています。近江神宮ではかるた祭―かるた開きの儀―も行われていますが、近年は百人一首競技かるたが漫画やドラマでも取り上げられるなど、ことに正月の名人位クイーン位決定戦はよく知られるところとなってきました。境内には奉納された板かるたの額も展示されています。
天智天皇の数々の御事績により、さまざまなご神徳を拝することができ、多くの方々から崇敬されています。ことに困難を排して画期的な政策を推進し、日本の運命を導いてゆかれた御祭神の開運の神様としての御神徳、時の一瞬の判断が運命を左右することをつかさどり、開運への方向を説き示す、時の神様、導きの神様としての御神徳が高く、産業・文化・学芸の守護神として崇敬いただいています。