令和5年の年柄
令和の御代も早くも五年。二年に入ろうとするころ、新型コロナ感染症が始まり、四年目となる。
収束傾向かと思うと、次の変異株が急増し、終りは見えない。数年のうちには感染力は高くても弱毒化し、普通の風邪のようになっていくのであろう。そのような中でテレワークやオンライン会合の普及が十年早く進んだといわれるなど、社会のあり方は大きく変貌しようとしている。
コロナ禍に加えて、ロシアによるウクライナ侵攻は、大国による公然とした戦争として世界を揺るがし、極東有事への波及も懸念されている。戦争は始めるのは簡単だが、終らせるのは至難だとよく言われる。今回の戦争は核大国が核兵器を恫喝に使い、原子力施設を出撃拠点とするなど、戦後初めてといっても良い危機的な事態である。
令和五年癸卯四緑の年。癸はみずのと、水気の陰。生命の源には水が必要で、その水気をもとに種子のなかに育まれた生命が次第に形作られ、芽を出すべき時を見定め、見揆(はか)り、内部でその準備を整えている状態である。
癸の文字の形はもと
収束傾向かと思うと、次の変異株が急増し、終りは見えない。数年のうちには感染力は高くても弱毒化し、普通の風邪のようになっていくのであろう。そのような中でテレワークやオンライン会合の普及が十年早く進んだといわれるなど、社会のあり方は大きく変貌しようとしている。
コロナ禍に加えて、ロシアによるウクライナ侵攻は、大国による公然とした戦争として世界を揺るがし、極東有事への波及も懸念されている。戦争は始めるのは簡単だが、終らせるのは至難だとよく言われる。今回の戦争は核大国が核兵器を恫喝に使い、原子力施設を出撃拠点とするなど、戦後初めてといっても良い危機的な事態である。
令和五年癸卯四緑の年。癸はみずのと、水気の陰。生命の源には水が必要で、その水気をもとに種子のなかに育まれた生命が次第に形作られ、芽を出すべき時を見定め、見揆(はか)り、内部でその準備を整えている状態である。
癸の文字の形はもと

であり、木を十字に組み合わせ、日の出日の入りの方位を測り東西南北を知る、十字型の方位計の象形という。だから、はかると読み、転じて原理・原則の意をも表わし、原則をもとに物事を図り、計画的に物事を押し進めていくことを表わしている。
謀りごとの意味にも用いられ、手篇をつけると一揆の揆でもあるが、癸の文字自体に武器の意味もあり、刃が四方に突き出てどの方向でも突ける鉾の形の象形ともいう。癸を付けた文字には、武器そのものを表す戣、目を背け反目する意味の睽、軍馬が行進する様子を表わす騤など、戦乱にかかわる文字が多い。現在の世界情勢を表わしているかのようである。
卯は木気の陰であり、陰暦二月仲春を表す。方位は東。時刻は朝の六時、不定時法では明六つ、日の出のころである。草木が伸び進んで地面におおいかぶさるように繁茂し、いよいよ勢いを増していく状態を表わす。万物の成長が盛んな生成発展・生成化育の象である。最も生気の発動が期待される地支であり、卯の日は重視されてきた。
平安時代から室町時代、正月の上の卯の日の行事として、卯杖、卯槌という邪気除けの行事があった。卯杖とは桃、梅、椿などの木で杖を造り、春を寿ぐとともに除災の呪物として天皇、中宮、東宮に献上したもの。卯槌は桃の木や象牙などを四角柱に切り、五色の組糸を下げたものを同様に呪物として調進したもので、どちらも初卯の日の行事であったため、卯杖、卯槌と呼ばれた。
また新嘗祭はもとは十一月の中の卯の日。祈年祭はもともと卯の月である二月の四日であったが、十二支の四番目である卯の日の代りに四日としたのではないかという。
卯の月は旧二月だが、卯月といえば四月の和名である。月の和名の意味や語源は諸説紛々で、どの月も明確にはなっていないが、卯月の場合は卯が十二支の四番目だからという説もある。歴史的にも古く周代の暦では、一月が子で卯は四月であった。卯が十二支の四番目であることについて、卯の文字の古体は四の文字の古体と似ており、もと同字であったのではないかともいう。
ここで今年の九星が四緑であることがかかわってくる。四緑も木星で木気。五行配当では卯より遅れて辰から巳に相当するが、近い位置であり、生成発展を表象する。
四という数字は、現代の日本では忌避されがちな数字だが、玉串の紙垂は通常四垂れであり、御幣は八垂れにすることもある。注連縄の紙垂は一辺に四枚つけることが多い。古く「よ」の語源は「いよいよ」に通ずるものがあり、発展性を持った聖数ともいうべきものであった。四の倍の八(や)の語源が、弥栄(いやさか)の「いや」であり、「よ」「いよ」の母音交代形であることを思えば理解されるであろう。
十二支の卯はウサギに当てはめられるが、日本でウサギにまつわる伝説といえば、因幡の白兎(素兎)の説話、また月で餅をつく兎であろう。月に兎が住んでいるという伝承は世界各地にあるが、日本では、満月を望月ということもあって餅搗きと結びついた。「うさぎうさぎ、何見てはねる、十五夜お月さま見てはねる」の歌は江戸時代の文献にも載っているというが、野うさぎが月の兎を見て感応して遊び跳ねると想像した。今の時代にあってさえ、日本の原風景として「うさぎ追いしかの山」と歌われているように、野うさぎは人里に生息する近しい動物で、畑を荒らす害獣でもあったが、動物性蛋白源としても主要なものであった。
天干は水気、地支は木気。水生木の原理に該当し、水気、水分によって万物は発展成長が図られる。新型コロナ感染症も戦乱も新たな社会に向うための産みの苦しみというには犠牲があまりにも大きすぎるが。
謀りごとの意味にも用いられ、手篇をつけると一揆の揆でもあるが、癸の文字自体に武器の意味もあり、刃が四方に突き出てどの方向でも突ける鉾の形の象形ともいう。癸を付けた文字には、武器そのものを表す戣、目を背け反目する意味の睽、軍馬が行進する様子を表わす騤など、戦乱にかかわる文字が多い。現在の世界情勢を表わしているかのようである。
卯は木気の陰であり、陰暦二月仲春を表す。方位は東。時刻は朝の六時、不定時法では明六つ、日の出のころである。草木が伸び進んで地面におおいかぶさるように繁茂し、いよいよ勢いを増していく状態を表わす。万物の成長が盛んな生成発展・生成化育の象である。最も生気の発動が期待される地支であり、卯の日は重視されてきた。
平安時代から室町時代、正月の上の卯の日の行事として、卯杖、卯槌という邪気除けの行事があった。卯杖とは桃、梅、椿などの木で杖を造り、春を寿ぐとともに除災の呪物として天皇、中宮、東宮に献上したもの。卯槌は桃の木や象牙などを四角柱に切り、五色の組糸を下げたものを同様に呪物として調進したもので、どちらも初卯の日の行事であったため、卯杖、卯槌と呼ばれた。
また新嘗祭はもとは十一月の中の卯の日。祈年祭はもともと卯の月である二月の四日であったが、十二支の四番目である卯の日の代りに四日としたのではないかという。
卯の月は旧二月だが、卯月といえば四月の和名である。月の和名の意味や語源は諸説紛々で、どの月も明確にはなっていないが、卯月の場合は卯が十二支の四番目だからという説もある。歴史的にも古く周代の暦では、一月が子で卯は四月であった。卯が十二支の四番目であることについて、卯の文字の古体は四の文字の古体と似ており、もと同字であったのではないかともいう。
ここで今年の九星が四緑であることがかかわってくる。四緑も木星で木気。五行配当では卯より遅れて辰から巳に相当するが、近い位置であり、生成発展を表象する。
四という数字は、現代の日本では忌避されがちな数字だが、玉串の紙垂は通常四垂れであり、御幣は八垂れにすることもある。注連縄の紙垂は一辺に四枚つけることが多い。古く「よ」の語源は「いよいよ」に通ずるものがあり、発展性を持った聖数ともいうべきものであった。四の倍の八(や)の語源が、弥栄(いやさか)の「いや」であり、「よ」「いよ」の母音交代形であることを思えば理解されるであろう。
十二支の卯はウサギに当てはめられるが、日本でウサギにまつわる伝説といえば、因幡の白兎(素兎)の説話、また月で餅をつく兎であろう。月に兎が住んでいるという伝承は世界各地にあるが、日本では、満月を望月ということもあって餅搗きと結びついた。「うさぎうさぎ、何見てはねる、十五夜お月さま見てはねる」の歌は江戸時代の文献にも載っているというが、野うさぎが月の兎を見て感応して遊び跳ねると想像した。今の時代にあってさえ、日本の原風景として「うさぎ追いしかの山」と歌われているように、野うさぎは人里に生息する近しい動物で、畑を荒らす害獣でもあったが、動物性蛋白源としても主要なものであった。
天干は水気、地支は木気。水生木の原理に該当し、水気、水分によって万物は発展成長が図られる。新型コロナ感染症も戦乱も新たな社会に向うための産みの苦しみというには犠牲があまりにも大きすぎるが。
(令和5年近江神宮『開運暦』より)