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主な祭典

かるた祭 1月上中旬の日曜日(令和7年は1月12日)

かるた祭
小倉百人一首巻頭歌ゆかりの近江神宮の神前で、
天智天皇御製
「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」
を朗誦し、采女装束を着た4名の取姫が儀式的にかるたを取り「かるた開きの儀」を行います。続いて近江勧学館において高松宮記念杯をいただいた競技かるたの全国大会が開催されます。
 皇室を慕い、王朝のみやびにあこがれる日本人の国民心意は、江戸時代以降一般に広まった、新年の百人一首かるた遊びのなかに育まれました。
 伝説的な歌ではありますが、後撰集以後、天智天皇の御製として伝承され、小倉百人一首の巻頭歌として置かれました。農耕儀礼のような田作りの上に御身をおかれての御製は、皇室の祖先の天孫降臨にあたって高天原から稲穂を授かり、地上にもたらされたところから日本の米作りが始まるという、米作りの起源神話を土台としています。日本の神々のまつりが米作りの上に立脚し、神まつりと米作りと皇室とが一体不離のものであることが、自覚された歌です。君民一体の農耕社会への渇仰がうかがわれ、また現今、天皇陛下が宮中で田植と抜穂をお手づから行っておられることにつながるものが感じられます。

例祭  4月20日 (近江まつり 令和7年は4月20日)

 近江神宮のご祭神・天智天皇は、その6年(西暦667年)3月19日、近江大津宮に都を遷されました。平成29年(西暦2017年)は大津宮遷都1350年の年でした。
 大津宮での新政治は、その後の律令国家制度の基礎となりましたが、滋賀県・大津市にとっても、その発展の源泉は大津宮遷都に始まります。明治以来、近江神宮ご創建の県民運動が盛り上がったゆえんであり、また古都保存法による古都として指定されている意味もそこにあります。
 この日を太陽暦(グレゴリオ暦)に直すと4月20日に当ります。近江神宮は勅祭社16社の一として、この日、宮中から天皇陛下の御名代の勅使をお迎えして例祭が行われます。例祭では宮中から御幣物がお供えされます。
 4月20日の直後の日曜日、地元学区の各町内より10数基の子供神輿が参集し、神賑行事・近江まつりが賑々しく行われます。
例祭勅使参進
例祭清和四條流式庖丁奉納
近江まつり 楼門下集合
近江まつり
近江まつり

崇福寺鎮魂供養祭  5月17日

崇福寺の根源 金仙の滝と伝説の霊窟
 天智天皇7年(668)、近江大津宮の乾の守護寺として、勅願により現在の大津市滋賀里の山中に『崇福寺』が創建され、鎌倉時代まで存続し、弥勒信仰の聖地として繁栄しました。奈良平安時代を通じて十大寺の一つとして朝野の崇敬篤く、「志賀の山寺」として志賀越え山中の名所でした。
 昭和14年に崇福寺跡の発掘調査に際して、塔跡の心礎孔中に仏舎利に見立てた水晶3粒が納められた舎利容器をはじめとする納置品が発見され、一括して国宝に指定され、近江神宮の所蔵となっています。舎利容器発見より50周年にあたった平成元年に、近江神宮神職・園城寺執事合同の鎮魂供養祭を開始してより毎年行われています。
 左の写真は『今昔物語』所載の崇福寺創建伝説に載る金仙の滝と伝説の霊窟。
 令和3年8月の土砂災害のため現地までの林道が崩壊し、供物・装束等の荷物を持って現地にたどり着くのが不可能なため、本6年も近江神宮の外拝殿で遥拝する形で執り行います。(令和6年4月現在復旧工事中)
崇福寺鎮魂供養祭
崇福寺跡碑
崇福寺跡出土の舎利容器

漏刻祭  6月10日

 近江神宮のご祭神・天智天皇は、時を認識することが社会文化の発展に不可欠のものとお考えになり、ご治世の10年(西暦671年)、その都・近江大津宮に漏刻(水時計)を創設して時報を開始されました。
『日本書紀』に「鐘・鼓をもちて時を知らす」とあり、この日を記念して、太陽暦(グレゴリオ暦)に換算した6月10日が『時の記念日』と定められています。
 この日、わが国時報の創始を仰ぎ、時の祖神・天智天皇に感謝の祈りを捧げるとともに、社会と文化の発展・産業繁栄・家内安全を祈願する祭典として、近江神宮ご創建以来『漏刻祭』が斎行されています。
 当日は王朝装束をまとった時計業界の皆様(令和6年は大阪時計宝飾眼鏡商業協同組合の皆様)とびわ湖大津観光大使ほかの采女の皆様が、各メーカーの時計新製品を御神前にお供えして時計の歴史の進展を奉告し、感謝の誠を捧げます。
  祭典の中で奉納行事として女人舞楽・原笙会による舞楽が行われます。令和6年は「春庭花
」が舞われます。またこの日の恒例により、滋賀県花道協会の流派持ち回りにより内拝殿前に献花が活け込まれます。
 なお、当日は時計館宝物館が無料公開、また古代火時計は線香に点火し実演されます。(雨天中止)
漏刻祭時計献納
漏刻祭時計献納
漏刻祭舞楽

献菓献煎茶祭 6月第4日曜日(令和7年は6月22日)

 天智天皇が蒲生野に国見の折、地元民より奉献された郁子(むべ)の実をご賞味された伝説、そして郁子の実の果肉を加工したものがういろうの起源となったという伝えにもとづき、献菓献煎茶祭が行われています。
 全国の菓子業者より銘菓を、また滋賀県内の茶業関係者より新茶を奉献いただいてお供えし、煎茶道小川流の家元宗匠のお点前により神前に煎茶を奉ります。祭典後は小川流の門下の皆様によるお茶会が行われます。
本6年は祭典は通常どおり行われますが、お茶会は事情により中止となります。
小川流煎茶道若宗匠お点前
小川流煎茶道煎茶献納
献菓献煎茶祭代表銘菓

燃水祭  7月7日(7日が土日の年は5日)

黒川燃水祭採油の臭水(原油)壺
  日本最初の石油の記録は、1350年をさかのぼる、天智天皇の御代のことでした。正月3日、新都大津宮において、御即位の式典を厳修せられた天智天皇7年(668年)の7月のことでした。
 「越の国 燃ゆる土 燃ゆる水をたてまつる」
  日本書紀はこう書き記しています。燃ゆる土『燃土』は
石炭・泥炭ともいわれてきましたが、近年は天然アスファルトのこととされ、燃ゆる水『燃水』とは石油のことです。『越の国』は、現在の新潟県。なかでも現在の胎内市(旧黒川村)であったといわれます。黒川村は、昔、川の流れが黒くなるほど燃水が湧き出したことから、「黒川」の地名がついたと伝えられています。昭和30年代までは手掘り井戸で原油が採掘され、灯火などに利用されていたとのことです。
 その7月、越の国より採掘された燃水と燃土が天智天皇の都に献上されたのでした。科学技術を駆使され国づくりを推進された改新政治を象徴する記事といえます。
 毎年7月1日、新潟県胎内市黒川において燃水祭が行われ、その折採油された原油が、6日後の7日(7日が土日の年は5日)、近江大津宮旧跡に鎮座する近江神宮燃水祭において、黒川からの使者により燃水献上の儀が、往時のままに厳修されています。さながら日本書紀の記述を再現するがごとくに、黒川燃水祭当日は古式の服装で献上行列も行われています。
 地球温暖化、CO2削減が世界的な問題となり、脱炭素の方向へ世界が大きく動き出すなか、化石燃料は温暖化の元凶のようにマイナスイメージで取り上げられるようになりました。電力源としても石油の比率はかつてより大幅に低下しています。脱原発への志向も高まってきていますが、ただちに自然エネルギー中心に転換するのは難しく、自動車の急激なEV化の方向性もあるとはいえ、
自動車・航空機など輸送機械の動力源、化学製品の原料としても当分の間は重要さは変わることがないと思われます。なお、災害時に簡単に利用できる燃料・動力源として重要視する声もあります。
 全国石油・エネルギー業界・関連業界関係者多数のご参列の中、石油業界の代表者の手により、ランプに灯をともして献灯の儀を行い、現代文明の基盤である石油への感謝の誠を捧げます。
燃水奉献
黒川臭水(くそうず)を献納する新潟県胎内市代表者
燃水祭ランプ献灯
ランプを持って献灯する各府県石油商業組合代表者
黒川燃水祭
黒川燃水祭

弘文天皇祭(8月24日)

 弘文天皇は、天智天皇の皇子。御名を大友(おおとも)皇子、またの御名を伊賀(いが)皇子と申し上げます。わが国最初の漢詩集である『懐風藻』120篇中の筆頭に御作2首が収められ、日本漢詩の祖と讃えられます。
 天智天皇は、その10年10月、御不例の御時、皇太弟・大海人皇子を召され後事を託されましたが、大海人皇子は病気を理由にこれを辞し、出家して吉野に入られたので、天智天皇は大友皇子を皇太子とされました。まもなく天智天皇は大津宮にて崩御され、大友皇子は御即位になったと考えられていますが、翌年、壬申の乱の悲劇が起り、戦い利あらず、7月23日、聖寿25歳をもって崩御あそばされました。
 御陵は長等山前(ながらのやまさき)陵(大津市御陵町)と申し上げます。
 弘文天皇崩御の地については日本書紀の記述にもはっきり書かれておらず、大津市内のほか大阪府の山崎にも比定されています。また東国に落ちのびて子孫を残されたなどの伝説もあり、各地に伝承地や関係神社があります。
 『日本書紀』には弘文天皇を御歴代の中に数えていませんでしたが、水戸徳川家編纂の『大日本史』は即位説を取り「天皇大友」として本紀に載せ、明治3年、諡を奉って弘文天皇と申し上げ、第39代天皇として正式に御歴代として登載申し上げることになりました。
  弘文天皇崩御の年の7月23日は太陽暦で8月24日にあたります。この日、近江神宮において弘文天皇祭を斎行、弘文天皇をお祀りする鳥居川御霊神社より御神札が捧持され、御ゆかりの園城寺執事の御奉仕により追悼表白が奏されます。
 なお、24日、弘文天皇祭に先立つ午前10時より、弘文天皇御陵(大津市役所奥)において宮内庁により御陵正辰祭が行われます。
  弘文天皇御製『侍宴』     えんにじす
 皇明光日月  帝徳載天地   こうめい じつげつひかり  ていとく てんちをのす
 三才竝泰昌  萬国表臣義   さんさい ならびに たいしょう  ばんこく しんぎをあらはす
弘文天皇御陵
吟友の碑(弘文天皇御製漢詩碑)

献書祭 (令和7年は8月23日)

 近江神宮関連の社会教育事業を推進する団体である天智聖徳文教財団では、学校制度を始められ、学問を奨励になられた天智天皇のご聖徳をしのび、また近江の国に輩出した伝教大師、最澄、小野篁、小野道風など幾多の書聖を顧み、毎年、近江神宮全国献書大会を開催しています。昭和45年より始められ、本年は第56回となります。

 8月下旬の日曜日(本7年は23日土曜日)、献書大会入選者にお集まりいただき、献書祭を斎行します。献書祭では、入選者の有志に神前で揮毫いただき、その後、表彰式を行います。

 献書大会出品ご希望の方は、下記から出品要項・出品票などをダウンロードできます。


 

近江神宮全国献書大会

献書祭神前揮毫
神前揮毫による作品披露
献書大会特別賞入賞作品 外拝殿に展示

御鎮座記念祭  11月7日

献納の「むべ」(藁苞の上の赤い実)
 1350年の往昔、天智天皇は、琵琶湖西岸・近江大津宮に遷都し、この都に即位されました。大津宮に近江令の施行、戸籍の編纂、時刻制度の開始、国立学校の創設など、国家の礎となる諸事業を展開されました。
明治以降、滋賀県下では天智天皇奉祀神社の創建運動が盛んになり、政府に請願書をたびたび提出の末、昭和13年5月、昭和天皇の御聴許により、近江神宮を創建、御社格を官幣大社に列せられる聖旨を賜るに到りました。御造営工事では全県下のべ71000名にのぼる勤労奉仕、5000本に及ぶ献木植樹をいただいて神苑は整い、昭和15年11月7日、勅使参向の下、御鎮座の祭儀が厳修されました。
 近江神宮では毎年この日を記念して御鎮座記念祭が執り行われます。祭典の特別献納品として、天智天皇の往時の故事に因んで、近江八幡の大嶋奥津嶋神社より「むべ」が毎年献納されています。祭典中には創美流華道家元による「献華式」、清和四條流家元による「包丁式」が大前に執り行われます。また、高松宮殿下のお言葉により、滋賀県内各神社を通じて頒布いただいている近江神宮神札頒布の頒布式が行われます。

初穂講大祭  12月1日(1日が日曜の年は2日)

 天照大神が穀神から五穀の種子を受け播種・収穫されたのが日本の農業の起源神話。なかでも稲は神聖な穀物とされました。農は立国の大本といい、食生活なくして人間生活は成り立ちません。農業が産業の片隅に追いやられて久しいですが、米作りを中心とする農業は社会の存立の基盤です。食糧自給率の改善とともに地産地消を心がけたいところです。
  新嘗祭は農作物の収穫と太陽の恵みに感謝する祭典であり、全国の神社で行われる大祭です。初穂講大祭は近江神宮の新嘗祭です。昭和25年、滋賀県農業協同組合中央会を中心に近江神宮初穂講が結成され、県内各農協を通じて農家に一家に1升の初穂米の奉納を呼びかけ、今日に至っています。全県下より、その年の収穫米を初穂として大前に奉献、感謝の誠を捧げ、あわせて明くる年の豊饒を祈願します。
 祭典では滋賀県農協中央会会長が献幣使として祭文を奏上、感謝の誠を捧げ、県内各地域より農協役員が献米使として采女とともに奉仕して初穂米が奉献されます。

献餅使奉納の餅と奉納自然薯
献米使による初穂米の奉納
献餅使による餅の奉納
近江神宮
〒520-0015滋賀県大津市神宮町1番1号
TEL:077-522-3725
FAX:077-522-3860
https://oumijingu.org/
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ご祭神 天智天皇(天命開別大神)
ご神徳 時の祖神
開運・導きの大神
文化・学芸・産業守護
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・参拝時間     6:00~18:00
・ご祈祷      9:30~16:00
・お守り・御朱印等 9:00~16:30
・時計館宝物館   9:30~16:30
        (入館16:15まで)
・結婚式打合せ   10:00~16:00
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【参拝所要時間】
参拝のみ:駐車場より10分程度
日時計・漏刻等観覧:5~10分程度~
時計館宝物館: 15分程度~
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車いす利用 時計館横から外拝殿までスロープあり。時計館横に車いす用トイレあり。時計館横まで身障者用自動車は乗入可能
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【祭典行事予定】
12月 2日 初穂講大祭
12月13日 門松立て
12月20日 煤祓祭
12月31日 大祓式
12月31日 除夜祭
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