競技かるた名人位・クイーン位決定戦
第70期名人位・第68期クイーン位 決定戦
一.日 時 令和6年1月6日(土)
8時40分近江神宮参拝
9時40分競技開始
9時40分競技開始
一.会 場 近江神宮 近江勧学館
滋賀県大津市神宮町1番1号
電話077-524-3905
滋賀県大津市神宮町1番1号
電話077-524-3905
主 催 一般社団法人 全日本かるた協会
後 援 文化庁・滋賀県・滋賀県教育委員会・大津市・大津市教育委員会
読売新聞社・NHK大津放送局・天智聖徳文教財団・小倉百人一首文化財団
読売新聞社・NHK大津放送局・天智聖徳文教財団・小倉百人一首文化財団
一、前夜祭講演会(百人一首文化講演会)
講師 永吉寛行氏(宮崎大学准教授)
「国語教育における百人一首の現状と展望」
日時 1月5日(金)午後4時~5時20分
会場 琵琶湖ホテル(大津市浜町2-40)
聴講無料(できるだけ事前申込みをお願いします)
講師 永吉寛行氏(宮崎大学准教授)
「国語教育における百人一首の現状と展望」
日時 1月5日(金)午後4時~5時20分
会場 琵琶湖ホテル(大津市浜町2-40)
聴講無料(できるだけ事前申込みをお願いします)
(決定戦)
川瀬将義 名人 (静岡) 対 堀本秋水 6段(東京)5回戦
山添百合 クイーン(京都)対 井上菜穂 6段(東京)5回戦
山添百合 クイーン(京都)対 井上菜穂 6段(東京)5回戦
名人戦・クイーン戦の歴史
名人戦の歴史
昭和30年に始まったかるた界最高の名人戦は、正木一郎(白妙会)が第1期から連続10期保持し、正木時代を築き、永世名人の称号とともに引退する。昭和40年以後3期連続名人位に松川英夫(東京東会)がつく。昭和43年には田口忠夫(白妙会)に敗れるも、松川は名人戦において返り咲くこと3度(通算9期)、永世名人となる。昭和40年代後半からは、遠藤、川瀬というヤングパワーが名人位についたが、昭和51年からは森、松川が名人位につき時計の針は逆回りする。昭和60年、颯爽と登場した種村貴史(慶応)が松川を破り、種村時代を築く。種村は連続8期(通算9期)名人位を保持し永世名人となる。
平成8年、種村名人に後輩の望月仁弘(慶応)が3度目の挑戦で名人位を掴み、3期連続名人位を保持するも、平成11年には西郷直樹(早稲田)が2連敗のあと3連勝する大逆転で望月名人を下し、20歳で史上最年少名人となる。以来西郷は8期連続で3勝無敗の防衛を果たし、名人戦記録となる27連勝を樹立するとともに、最年少で永世名人の称号を手にする。 その後、12期以降、13期・14期ともに2勝2敗にまでもつれ込んだが、最後は名人が勝ち取り、昨期まで14期連続の名人となる。
昭和30年に始まったかるた界最高の名人戦は、正木一郎(白妙会)が第1期から連続10期保持し、正木時代を築き、永世名人の称号とともに引退する。昭和40年以後3期連続名人位に松川英夫(東京東会)がつく。昭和43年には田口忠夫(白妙会)に敗れるも、松川は名人戦において返り咲くこと3度(通算9期)、永世名人となる。昭和40年代後半からは、遠藤、川瀬というヤングパワーが名人位についたが、昭和51年からは森、松川が名人位につき時計の針は逆回りする。昭和60年、颯爽と登場した種村貴史(慶応)が松川を破り、種村時代を築く。種村は連続8期(通算9期)名人位を保持し永世名人となる。
平成8年、種村名人に後輩の望月仁弘(慶応)が3度目の挑戦で名人位を掴み、3期連続名人位を保持するも、平成11年には西郷直樹(早稲田)が2連敗のあと3連勝する大逆転で望月名人を下し、20歳で史上最年少名人となる。以来西郷は8期連続で3勝無敗の防衛を果たし、名人戦記録となる27連勝を樹立するとともに、最年少で永世名人の称号を手にする。 その後、12期以降、13期・14期ともに2勝2敗にまでもつれ込んだが、最後は名人が勝ち取り、昨期まで14期連続の名人となる。
しかし、14連覇を成し遂げた西郷名人が24年10月に名人位を辞退したため、25年の第59期は東西予選の勝者同士によるを名人位争奪戦の結果、岸田諭6段が第59期名人位に就位した。その後、27年(第61期)まで3期連続の名人となる。
クイーン戦の歴史
名人戦に遅れること2年、昭和32年に始まったクイーン位においては、天野千恵子(仙台鵲合)が初代クイーン位に就いた。昭和30年代は天野、小沢教子(白妙会)の天下が続く。昭和40年代に入り、丹治迪子(仙台鵲会)、宮崎嘉江(金沢高砂会)のライバルに椿芙美子(仙台鵲会)が割って入る3強時代となる。昭和47年、高校3年の沖美智子(小野田)が戦国状態を統一。 しかし沖は、永世クイーンがかかった昭和51年、吉田真樹子(慶応)に敗れる。1回戦の運命戦(1枚-1枚)で、十八番”みちのく”が出なかったのではしかたがない。
昭和52年、高校2年の堀沢久美子(小野田)がクイーン位を奪取、以後連続8期その座を保持し無敗のまま引退、永世クイーンとなる。その後、北野律子(九州)が3期保持するも出産によりクイーン戦を欠場。その昭和63年は、渡辺令恵(横浜隼会)と山崎みゆき(福井渚会)による因縁の対決の第1幕となる。両者は以後7回(途中連続5回)対戦し、渡辺の6勝1敗であった。渡辺は通算14期、連続11期クイーン位を保持し永世クイーンに。しかし平成15年、齊藤裕理(京都)の2回目の挑戦を受け、遂にその座を譲る。
そして平成17年、中学3年の楠木早紀(大分)がクイーン戦デビューを2連勝で飾り、史上最年少クイーン位に就き、鮮やかに楠木時代の到来を告げた。その後クイーン戦20戦無敗のまま、今期まで10期連続クイーン位に輝く。平成21年には史上最年少永世クイーンの称号を得た。さらに26年の第58期まで10連覇の偉業を達成した。翌年、楠木クイーンは出場を辞退し、東西日本代表者の争奪戦の末、坪田翼6段が第59期クイーン位に就位した。