皇室と近江神宮
皇室と近江神宮
天智天皇の皇都、近江大津宮跡に御鎮座する近江神宮は、昭和15年11月7日、紀元2600年の慶節に、昭和天皇様の御聴許を賜り御創建された旧官幣大社で、全国勅祭社16社中の一社です。
天智天皇が大津宮で画期的な新政治を推進して行かれた御事蹟、御遺徳について、昭和天皇はことのほか心中深く刻まれて、先の大戦の戦後復興を近江神宮の御祭神に御祈願なされ、その模範となさいました。
昭和20年12月15日、神社と国家との関係を断ち切る神道指令が占領軍から発令された、まさにその当日、昭和天皇は近江神宮を勅祭社に治定なさいました。そして翌21年2月より9年の長きに渡り、米軍軍政下にあった沖縄を除く全国46都道府県、約33000キロの道程を御巡行あそばされ、戦火に打ちひしがれた国民を慰め、国土復興の努力を激励して行かれました。
天智天皇が大津宮で画期的な新政治を推進して行かれた御事蹟、御遺徳について、昭和天皇はことのほか心中深く刻まれて、先の大戦の戦後復興を近江神宮の御祭神に御祈願なされ、その模範となさいました。
昭和20年12月15日、神社と国家との関係を断ち切る神道指令が占領軍から発令された、まさにその当日、昭和天皇は近江神宮を勅祭社に治定なさいました。そして翌21年2月より9年の長きに渡り、米軍軍政下にあった沖縄を除く全国46都道府県、約33000キロの道程を御巡行あそばされ、戦火に打ちひしがれた国民を慰め、国土復興の努力を激励して行かれました。
終戦から1年あまり経た昭和21年11月9日午後8時、元滋賀県知事であり、近江神宮奉賛会副会長を務められ、また同年9月21日まで侍従次長であった稲田周一氏が、昭和天皇の御名代として近江神宮に参拝されました。
当時の平田貫一宮司に対し「過日天皇陛下には総理以下重臣を召されて、異例のお言葉を賜った」と語り出し、「このたびの敗戦はまことに遺憾の極みであるが、1300年前の天智天皇の御時、唐・新羅の軍と白村江に戦って大敗した歴史がある。天智天皇は直ちに兵を撤せられ、国内諸政の一新を企てられ、文化を振興、国力の充実を図られた。これを模範として、諸政一新、文化経済を盛んにして永い将来に対処したいと強く念願しているから、一同もこの旨を体して大いに発奮努力して欲しい」との直話を賜り、近江神宮に参拝し神助を仰ぐよう、特命を頂いて参上したとのことでした。翌朝稲田氏は正式参拝し、昭和天皇の大御心をお伝え申し上げたのでした。
戦後の再起が危ぶまれた日本が経済大国として発展したことを鑑みるに、昭和天皇の並々ならぬご決意と御辛苦が御祭神天智天皇に深く感応された、その大稜威と御神徳を感じずにはいられません。国家安泰鎮護の神様としての御神徳あらたかなところと存じます。
そして昭和50年5月26日午前10時、昭和天皇は近江神宮に行幸されました。
当時の平田貫一宮司に対し「過日天皇陛下には総理以下重臣を召されて、異例のお言葉を賜った」と語り出し、「このたびの敗戦はまことに遺憾の極みであるが、1300年前の天智天皇の御時、唐・新羅の軍と白村江に戦って大敗した歴史がある。天智天皇は直ちに兵を撤せられ、国内諸政の一新を企てられ、文化を振興、国力の充実を図られた。これを模範として、諸政一新、文化経済を盛んにして永い将来に対処したいと強く念願しているから、一同もこの旨を体して大いに発奮努力して欲しい」との直話を賜り、近江神宮に参拝し神助を仰ぐよう、特命を頂いて参上したとのことでした。翌朝稲田氏は正式参拝し、昭和天皇の大御心をお伝え申し上げたのでした。
戦後の再起が危ぶまれた日本が経済大国として発展したことを鑑みるに、昭和天皇の並々ならぬご決意と御辛苦が御祭神天智天皇に深く感応された、その大稜威と御神徳を感じずにはいられません。国家安泰鎮護の神様としての御神徳あらたかなところと存じます。
そして昭和50年5月26日午前10時、昭和天皇は近江神宮に行幸されました。
その折の近江路において
比良の山比叡の峯のみえてゐて琵琶の湖暮れゆかむとす
比良の山比叡の峯のみえてゐて琵琶の湖暮れゆかむとす
と御製を詠まれました
その後、昭和54年、当時の皇太子・同妃両殿下にご参拝いただきましたが、平成の御代に入り、天皇・皇后(現 上皇・上皇后)両陛下におかれましては、平成2年11月7日近江神宮御鎮座50年祭にあたり、御製・御歌をたまわりました。その後、平成6年10月28日、平成の天皇・皇后両陛下の御親拝を拝するところとなりました。
近江神宮50年祭にあたり
天皇(現 上皇)陛下御製
日の本の国の基を築かれしすめらみことの古思ふ
皇后(現 上皇后)陛下御歌
学ぶみち都に鄙に開かれし帝にましぬ深くしのばゆ
その後、昭和54年、当時の皇太子・同妃両殿下にご参拝いただきましたが、平成の御代に入り、天皇・皇后(現 上皇・上皇后)両陛下におかれましては、平成2年11月7日近江神宮御鎮座50年祭にあたり、御製・御歌をたまわりました。その後、平成6年10月28日、平成の天皇・皇后両陛下の御親拝を拝するところとなりました。
近江神宮50年祭にあたり
天皇(現 上皇)陛下御製
日の本の国の基を築かれしすめらみことの古思ふ
皇后(現 上皇后)陛下御歌
学ぶみち都に鄙に開かれし帝にましぬ深くしのばゆ
なお、昭和13年、近江神宮奉賛会設立に際しては、その総裁として高松宮宣仁親王殿下にご就任いただきました。(会長は近衛文麿公)高松宮殿下には、御造営工事中にもご視察いただいて御令旨を賜り、御鎮座ののちはたびたびご参拝、特に戦後、外苑敷地に県・市により競輪場が建設されたのは、終戦後の多難な状況にあった近江神宮への経済的援助の資とするためもあってのことでした。殿下は高松宮杯競輪に当っては毎年ご来臨になられ、その際はかならず近江神宮に参拝になる習いでした。