近江神宮御創建前史
令和2年(2020)11月7日、近江神宮は昭和15年の御鎮座より満80年を迎えました。
大化の改新以後の、天智天皇の皇太子として、また天皇としての政治は明治維新にいたる1200年の基礎を形作り、奈良平安時代以来、歴代天皇のなかでも特別の位置に置かれ、歴代天皇のご即位の宣命にも、必ず天智天皇のことに触れられる習わしでした。近江神宮は天智天皇敬仰史1300年の上に立脚する神社といえます。
ことに滋賀県・大津市の発展は天智天皇が近江大津宮に都をおかれたことに始まるとして、県内では格別に崇敬が深く、明治20年代以来、天智天皇をお祭りする神社の創建の運動が沸き起こってきました。
大化の改新以後の、天智天皇の皇太子として、また天皇としての政治は明治維新にいたる1200年の基礎を形作り、奈良平安時代以来、歴代天皇のなかでも特別の位置に置かれ、歴代天皇のご即位の宣命にも、必ず天智天皇のことに触れられる習わしでした。近江神宮は天智天皇敬仰史1300年の上に立脚する神社といえます。
ことに滋賀県・大津市の発展は天智天皇が近江大津宮に都をおかれたことに始まるとして、県内では格別に崇敬が深く、明治20年代以来、天智天皇をお祭りする神社の創建の運動が沸き起こってきました。
まず明治28年(1895)、時の大津町長(当時はまだ町でした)が有志を募って、当時の滋賀郡滋賀村大字錦織字御所ノ内(現在の大津市錦織)の地に「志賀宮址碑」を建設しました。ついで明治33年(1900)大津宮創立の最初の企画が始まり、41年(1908)大津市制施行10周年に際して、時の市長が大津宮跡に天智天皇奉祀神社の創立を熱望する旨を発表し、請願運動を開始しました。
それ以来歳を重ねるごとに御創建への運動が高まり、並行して天智天皇の古都・近江大津宮の探索・究明への努力がはらわれました。そして昭和12年(1937)10月12日、近江神宮奉賛会を組織、翌13年5月1日、昭和天皇の御聴許をいただき近江神宮創立の旨を発表、同年6月10日時の記念日の日に地鎮祭執行、延べ7万人以上にのぼる県民の勤労奉仕をいただいて工事は進められました。その間近江神宮奉賛会総裁に高松宮殿下にご就任いただくという光栄に浴することになりました。かくして昭和15年竣工の運びとなり、その年11月7日、勅使御参向のもとこの大津宮跡隣接地に御鎮座祭が厳粛に斎行されました。
当時はまだ近江大津宮のあった所はわかっていませんでしたが、あたかも戦後、付近の発掘により志賀宮址碑建設地は大津宮の中心部、近江神宮境内は大津宮の一角ないし隣接地に間違いないことが確定的となった地でした。
当時はまだ近江大津宮のあった所はわかっていませんでしたが、あたかも戦後、付近の発掘により志賀宮址碑建設地は大津宮の中心部、近江神宮境内は大津宮の一角ないし隣接地に間違いないことが確定的となった地でした。