敬神のみちびき
近江神宮の御祭神・天智天皇は、近江大津宮に都を置かれ、5年間治められました。わずか5年間ですが、この間のご事績が中世・近世に至るまでの歴史を大きく導いています。歴代天皇のご即位の時の詔勅には、かならず天智天皇のことに触れられる習わしでした。その御陵は特別に大切な十陵の筆頭におかれ、後世に至るまで丁重な祭祀が行われていました。御陵にまつわる伝説や近江の廃都にかかわる数々の歌を見ても、天智天皇に対する崇敬がいかに厚かったかを知ることができます。また母なる湖・琵琶湖を擁する近江国の土地柄からも、格別の霊的なものを感じさせられていたのかもしれません。
明治維新に至る1200年間、国家的な守護、導きをなさいました天智天皇の御神霊は、昭和に入って近江神宮の御鎮座を見ることになり、一般国民の間にも開運へのお導きをいただくことができるようになりました。
近江神宮の御祭神は日本で初めて時を知らしめられた神様です。近江神宮の御祭神は、日々の仕事や家庭生活、人間関係など、人生航路を歩む上での判断の時を示し、歩むべき道を表わして、導いていただいています。開運への道は、その道しるべをいかに受け止め、いかに決断し、前進するかにかかっています。決断と前進への導きを守護いただく神様と申し上げることができます。
中今(なかいま)ということばがあります。現在の人は現在の人だけで生きているのではない。永遠の過去から悠久の未来に至る長い歴史の中の一瞬一瞬、祖先から子孫へと続いていくなかで一人一人が生かされている。長い歴史の中に今があり自分があることを実感することばです。昔から日本人は、そのような「永遠の今」という「時」を大切にすることによって歴史につながり、祖先に感謝し、子孫に願いを託してきました。神々に祈ることは祖先の導きに感謝し、歴史を継承し、子孫につなぎ渡していくことです。なかでも近江神宮の御祭神は時の神様であり、中今の祈りをつかさどる神様といえるでしょう。
古来「神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添う」といわれてきました。祈り、ご奉仕することによって御神威はますます光り輝き、ご加護をいただくことにつながるということです。心からの祈りを捧げ、日々の生活を正していくことが、人生を明るく豊かなものにし、家族や近隣の無事から国家社会の繁栄、ひいては世界の平和へとつながっていくのです。
近江神宮の御祭神のそのような御神徳を尊び、日々のお供物をお供えして祈願と感謝の誠を捧げる崇敬者の会として日供神饌講が設けられています。なにとぞ多くの方々が趣旨をご理解いただき、ご加入下さいますよう、そして一人でも多く御神徳をいただかれ、幸福な生活とともに、社会の安泰につながっていけば幸いです。
明治維新に至る1200年間、国家的な守護、導きをなさいました天智天皇の御神霊は、昭和に入って近江神宮の御鎮座を見ることになり、一般国民の間にも開運へのお導きをいただくことができるようになりました。
近江神宮の御祭神は日本で初めて時を知らしめられた神様です。近江神宮の御祭神は、日々の仕事や家庭生活、人間関係など、人生航路を歩む上での判断の時を示し、歩むべき道を表わして、導いていただいています。開運への道は、その道しるべをいかに受け止め、いかに決断し、前進するかにかかっています。決断と前進への導きを守護いただく神様と申し上げることができます。
中今(なかいま)ということばがあります。現在の人は現在の人だけで生きているのではない。永遠の過去から悠久の未来に至る長い歴史の中の一瞬一瞬、祖先から子孫へと続いていくなかで一人一人が生かされている。長い歴史の中に今があり自分があることを実感することばです。昔から日本人は、そのような「永遠の今」という「時」を大切にすることによって歴史につながり、祖先に感謝し、子孫に願いを託してきました。神々に祈ることは祖先の導きに感謝し、歴史を継承し、子孫につなぎ渡していくことです。なかでも近江神宮の御祭神は時の神様であり、中今の祈りをつかさどる神様といえるでしょう。
古来「神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添う」といわれてきました。祈り、ご奉仕することによって御神威はますます光り輝き、ご加護をいただくことにつながるということです。心からの祈りを捧げ、日々の生活を正していくことが、人生を明るく豊かなものにし、家族や近隣の無事から国家社会の繁栄、ひいては世界の平和へとつながっていくのです。
近江神宮の御祭神のそのような御神徳を尊び、日々のお供物をお供えして祈願と感謝の誠を捧げる崇敬者の会として日供神饌講が設けられています。なにとぞ多くの方々が趣旨をご理解いただき、ご加入下さいますよう、そして一人でも多く御神徳をいただかれ、幸福な生活とともに、社会の安泰につながっていけば幸いです。