本文へ移動

令和7年の年柄

 本年は昭和百年である。そして昭和二十年敗戦から八十周年にあたる。三世代に相当する歳月である。昭和天皇は戦後復興を天智天皇の白村江敗戦からの復興の御事績に習って進めていこうとお考えになられ、終戦一周年の折に勅使を遣わせて近江神宮に戦後復興を祈願された。そして高度経済成長が一段落した昭和五十年にご親拝いただいた。
 また本年は阪神淡路大震災より三十周年でもあるが、その後大地震は何回となく各地に襲いかかっている。毎年のように頻発する豪雨災害とともに災害列島の感が深いが、古代から災害が日本の歴史に与えた影響は大きい。災害を克服していく中に国家社会を作り上げてきたのだとあらためて認識させられる。
 本年は乙巳(きのと み・いっし)の年であり、大化元年(六四五)乙巳の変から一三八〇年の本卦帰りの年にあたる。近江神宮の御祭神天智天皇の御神徳にまことに縁の深い年である。乙巳の変は大化の改新の契機になった天智天皇の青年時代の政変で、旧弊を打破し改新政治を経て後後の時代の出発点となり、天智天皇は中興の祖と平安時代から仰がれ、歴代天皇のなかでも特別な位置に置かれた。
 同じ乙巳の年の出来事として、数百年後の文治元年(一一八五)には源平争乱が終結し、鎌倉幕府の出発点となる守護地頭の設置などの施策が行われている。慶長十年(一六〇五)には徳川家康が引退し将軍職を嗣子秀忠に譲っている。時代は下るが明治三十八年(一九〇五)には日露戦争が終結し、国力が充実して後の時代へと動いて行った。それぞれ一定の段階に達して新たな段階に進んでいく、時代の画期になった事柄であり、いずれも終りと始まり、到達点と出発点のような面がある。
 乙は十干の二番目、木の弟で木気の陰。春の草木の芽吹きが始まったものの、まだ冬の名残の陰気が強くて生育が思うに任せず、やや滞って屈曲している状態である。字形は曲りくねったものの象形で物事が左右に揺れ動きながらスムーズに進まないことを表わす。「乙乙(いついつ)」ということばがあり、よい考えが浮ばずあれこれ思案し悩み苦しむことをいうが、文字通り乙の象意の一面を表わしている。
 ただ季節は春、方角は東で力強いエネルギーは秘めている。乙の木気は物事を推進する力強さをもって、曲折しつつも陰気という障害を乗り越え、少しづつ方向転換しつつ進んでいくことを表わしている。
 巳は十二支の六番めで、季節では旧四月という夏に入ったころ。時刻では午前十時前後。陽気が極まり全陽の頂点に達して一段落し、陰気が兆し始める直前の万物隆盛の状態で、次の新しい段階に向けて動き始めるまでの小休止の時。とどまる、やむ(已)に通ずるという。巳と已とはもと同字だったという説もある。
 十二支の文字は当てはめられている動物とは関係ない文字が多いが、巳だけは文字そのものが蛇の象形とされている。屈曲している蛇の形をかたどったものといわれ、乙も巳も屈曲したものを表わしている。
 そこで乙と巳とが結びつくと、物事が隆盛の極みに達しつつ一歩踏みとどまる力が働いている。頂点に達して次の段階に移行しようとして模索している状態を表わすといえようか。やはり到達点と出発点につながるが、物事が一定の段階に達したところで、この後どのように進むか。繁栄の極みの中に衰退が兆し始めるのは史上数多く繰り返されてきた。それを防ぐためには常に省察して問題点を把握し方向転換や新たな道を探っていくことが必要であろう。
 蛇は人間に怖がられ、嫌われることの多い動物だが、その故もあってか逆に祭り上げられることも多く、世界各地の民族で蛇は神格化されている。蛇と神(人)との聖婚神話、蛇が人(神)の子を生んだとする伝えは日本の神話にも見られるが、蛇と祖先神との結合なども世界各地に見られる。
 また財布に蛇の皮を入れておくと財産がたまるなどの習俗はよく知られるところであろう。蛇が財宝を守るという俗信は古代インドから始まった弁財天信仰の一環でもあり、蛇の夢は吉兆、巳年生まれは金に不自由しないなどの俗信とともに、広く言い習わされてきた。
 何度も脱皮して成長することから再生と不死身のシンボルともされ、その形が男性器に似ていることからも生命の源と考えられているようだ。
 注連縄が蛇の造形とされたり、藁蛇を作って奉納するなどの儀礼も各地に残る。予祝儀礼としての綱引きも、蛇の造形である綱を引き合うことが祖霊としての蛇の闘いに見立てられて、生命の再生や豊饒祈願を表現したとする説がある。祭祀の「祀」の文字は旁が巳で「蛇を神としてまつる」のが原義という。畏怖すべき強さそのものも重視されたのかもしれない。このような蛇の呪力も何とか本年の年柄に力を添えてほしいものである。
 本年が大化の改新のもとになった乙巳の変と同じ干支の本卦帰りの年であることをあらためて振り返り、平安時代に中興の祖と仰がれた天智天皇とその時代、大化の改新から大津京に至る時代に深く思いを寄せていただきたい。
 また歴史のなかに承け継がれてきた心意や基盤を重視、立脚するのが本年の九星、二黒の象意であり、時代に合わせて転換するなかでも創始の原点を忘れず、一貫するものを認識し、将来に生かして新たな時代を切り拓いていただきたい次第である。
(令和7年近江神宮『開運暦』より)
であり、一陰五陽、沢天夬(たくてんかい)として表わされる。夬は決の旁で、決断の決である。上に残る陰の気に対して下から陽の気が持ち上って全陽に向って押し上げようとする寸前。天上の沢から水が溢れ出るというと、堤防が決壊して土砂災害になることを連想する人が多いであろうが、天子の恩沢が万民に及ぶことを表わすとされてきたのが古来の解釈であった。上方に残っている陰気とは邪悪害毒を意味し、陽の気たる正義正道が伸長して影響力が全般に及び、邪悪を放逐克服して正義を押し拡げ、また事業を遂行、進展させることを表現する。
 このように、甲辰三碧の年は、殻を破って新たな生命力が芽生え、強大な力をもって成長進展していくことを表わしている。各自の志を堅く保って、周囲の抵抗に臆することなく、自信を持って目標とするところに邁進していただきたい次第である。
(令和6年近江神宮『開運暦』より)

近江神宮
〒520-0015滋賀県大津市神宮町1番1号
TEL:077-522-3725
FAX:077-522-3860
https://oumijingu.org/
-----------------------------------------
ご祭神 天智天皇(天命開別大神)
ご神徳 時の祖神
開運・導きの大神
文化・学芸・産業守護
-----------------------------------------
・参拝時間     6:00~18:00
・ご祈祷      9:30~16:00
・お守り・御朱印等 9:00~16:30
・時計館宝物館   9:30~16:30
        (入館16:15まで)
・結婚式打合せ   10:00~16:00
-----------------------------------------
【参拝所要時間】
参拝のみ:駐車場より10分程度
日時計・漏刻等観覧:5~10分程度~
時計館宝物館: 15分程度~
-----------------------------------------
車いす利用 時計館横から外拝殿までスロープあり。時計館横に車いす用トイレあり。時計館横まで身障者用自動車は乗入可能
-----------------------------------------

【祭典行事予定】
12月 2日 初穂講大祭
12月13日 門松立て
12月20日 煤祓祭
12月31日 大祓式
12月31日 除夜祭
0
5
7
9
8
7
3
5
TOPへ戻る