本文へ移動
旧官幣大社・勅祭社で、社殿は近江造り・昭和造りといわれ、近代神社建築の代表として登録文化財となっています。
 
 
 
滋賀県西部の大津市中心部にほど近い、琵琶湖西岸の山裾にあります。
天智天皇の10年、近江大津宮に漏刻を創設して時報を開始されました。大宇宙の悠久の時の動きは神々のはたらきでもあることに感謝の誠を捧げ、6月10日時の記念日に漏刻祭が斎行されます。
小倉百人一首巻頭の天智天皇御製「秋の田のかりほの庵のとまをあらみわが衣手は露にぬれつつ」を神前で朗誦し、かるた開きの儀が行われます。この歌のゆかりにより、近江神宮では競技かるたの大会が盛んに開催されています。
 
馬事を進められた天智天皇の時代を偲び、時の記念日に先立つ6月第1日曜日、その祝賀奉納行事として流鏑馬神事が執り行われます。

令和2年の年柄

 謹んで今上天皇ご治世第二年、令和二年庚子の年を迎える。今上天皇は昭和三十五年庚子の年のご降誕であり、天皇陛下の本卦帰りの年でもある。
 改元に際して各メディアで報道されたことではあるが、あらためて補足とともに令和の字義を確認しておきたい。
 令の文字は冠をつけて神意を聞く人の形を表わすのが原義とされ、神意を受ける、さらに神のお告げを表わすとされる。そこから戒めを表わすことともなり、法令とか命令の意味にも転化していった。神意に従うところから正しい、立派、美しいの意味にもなっていった。
 和の文字はやわらぐこと、なごむことが原義で、平和の意味と考えて良い。二つの文字を合せると、発表されたとおり、美しく調和することを表わすといって良い。返り点を打てば「和せしむ」とも読め、融和・調和を図る意味になるであろう。

 令和の元号は『万葉集』の大伴旅人の邸で行われた梅花の宴の三十二首の歌の序文を出典とすると発表された。当時の日本人の詩文は古い漢籍を典拠とする語句が本歌取りのように使われていることが多く、この序文の語句も、後漢の張衡の詩文「帰田賦」にある「仲春令月、時和し気清し」を下敷きにしていると指摘されている。張衡は科学者で政治家・文人であり、特に水運渾天儀(水力で動く一種のプラネタリウムであり、水時計でもある)の製作で知られ、時の観念や宇宙観ともかかわりが深い。日本人に親しみの深い歌集を典拠としたことは喜ばしいが、同時に日中文化の広がりを持ったものともいえる。

 さて、令和二年庚子七赤の本年。子は十二支の筆頭であり、新たな十二年間の始まりの年。令和の時代が本格的に始動する年となる。陽気が皆無で純陰の亥の年に続いて、陽気が兆し始める一陽来復の年。陽気動き万物滋しという、種子の中に、いわば真冬の闇の中から新しい生命が兆し始める年である。子と滋、また孳・茲はシ・ジと同音で意味が通じ、万物の生命が次々に生れ、伸び進んでいくことを表わしている。動物では鼠に比定されているが、鼠算ということばに表される通り、鼠は繁殖力の旺盛な動物であり、増殖することを表す子の意義にもふさわしい。
 令和の大嘗祭が十一月に行われた。大嘗祭は新帝ご即位の初めに新嘗祭に代って行われる宮中祭儀だが、新嘗祭も大嘗祭も明治以前は子の月である旧暦の十一月中下旬、冬至の候に行われるもので、衰微した極みの太陽の光が冬至を境に再び力を強めていくことを祝祷する、農耕社会に最も重要な太陽の復活新生の祭儀であった。冬至の候であることが重要であったので、暦の作成に当ってはまず第一に冬至を含む月を子の月十一月とした。いわば一年の基準としての意味を持たせたのである。一陽来復という子の重要な象意を示唆している。明治以後、新嘗祭は太陽暦の十一月に行われるようになり、収穫感謝祭の意味ばかりになっていった。改暦によって年中行事の意味が大きく変った例である。

 十干の庚は金気の陽。四季では秋を表わす。「秋の万物の庚庚として実のあるに象る」と古書はいう。穀物の実った状態を表わし、良い稔り、良い結果がもたらされることを表わすとされる。庚は更に通じ、草木が成熟して極限に達した結果、次の世代に改まっていこうとする状態で、循環しながら継承しつつ更新していくことを表わすといわれる。秋を表わす庚は結実収穫に続く次なる一循環を内包しているわけである。その意味で冬を表わす十二支の子とはひと続きであり、一循環の水面下の胎動から循環の出発点へつながっている。そして九星の七赤も金気であり、庚と同様の象意がある。

 本年は『日本書紀』撰進千三百年の年である。『日本書紀』には天智天皇称制五年の冬、京都の鼠が近江に向って移るという記述があり、翌年春の大津宮遷都を暗示しているとされる。京都とは都があった飛鳥のことで、飛鳥から見て大津は真北。子の方角である。同書にはほかにも同様の記事が数か所あり、鼠の予知的な能力の存在が信じられていたようである。
 また大国主命は素盞嗚尊から試練を与えられた時に鼠に助けられて克服し、国土の主宰者となっていった。このことが鼠が大黒天の使者とされ、甲子の日に大黒天をまつることともつながる。平安時代以来、公家社会を中心に盛んに行われた正月初子の日の若菜摘み、小松引きが健康長寿と開運隆昌の予祝の意味を持った行事であり、七草節句と交錯しながら後世に伝えられていった。
 このように庚子の年は、いわば新たな時代への胎動期の予祝と生命力の強さを表すものといえる。

 そしてこのような年、近江神宮は昭和十五年の御鎮座から八十周年を迎え、また大正九年第一回時の記念日から百周年となる。近江神宮御創建の地鎮祭は昭和十三年の時の記念日に行われた。時はすべての人に平等に与えられている。太陽・月・地球の位置関係から時は形作られる。大宇宙の広がりのなかで神々の働きともいえる時の動きを感じ取り、社会分断の傾向が強まってきた地球社会の平和と安定を祈ることは時の記念日の大きな意義である。
 
(令和2年 近江神宮『開運暦』より)
近江神宮
〒520-0015滋賀県大津市神宮町1番1号
TEL:077-522-3725
FAX:077-522-3860

http://oumijingu.org/
-----------------------------------------
ご祭神 天智天皇(天命開別大神)
ご神徳 時の祖神
開運・導きの大神
文化・学芸・産業守護
-----------------------------------------
・参拝時間     6:00~18:00
・ご祈祷      9:30~16:00
・お守り・御朱印等 
9:00~16:30
・時計館宝物館   9:30~16:30
        (入館16:15まで)
・結婚式打合せ   10:00~16:00
-----------------------------------------
【参拝所要時間】
参拝のみ:駐車場より10分程度
日時計・漏刻等観覧:5~10分程度~
時計館宝物館: 15分程度~
-----------------------------------------
車いす利用 時計館横から外拝殿までスロープあり。時計館横に車いす用トイレあり。時計館横まで身障者用自動車は乗入可能
-----------------------------------------

【祭典行事予定】
◆12月  2日 初穂講大祭
◆12月13日 門松立て
◆12月20日 煤払祭
◆12月31日 大祓式
◆12月31日 除夜祭
 
トップページ下欄のカレンダー記載の祭典時刻は30分程度早める場合があります。祭典中でもご祈祷はできます。
3
5
4
9
9
5
1
TOPへ戻る